2020年1月29日水曜日

受験シーズンがやってきました

たくさんのご支援ありがとうございます!


2019年12月に「学術書チャリティ」を通じて10,308円ものご支援を頂戴しました。日本各地からのたくさんのご支援に、心から感謝いたします。いただいたご寄付は、こどもたちの孤立を防ぐ居場所「まかないこども食堂たべまな」の運営資源として大切に活かしてまいります。
 
ご支援いただいたみなさまにはメールでお礼をお送りしておりますが、エラーが生じメールが届かないトラブルが生じております。大変お手数ですが、ドメイン kakecomi.org 受信許可設定していただき、info@kakecomi.org までご連絡をお願いいたします


 

今年もたべまな、毎週月曜オープンです




2020年も、たべまなは毎週月曜(平日のみ)の午後3時から8時までオープンします。
18歳までなら誰でも無料、おとなのみなさんは「カンパ(投げ銭ご寄付)」でご利用可能です。ぜひ「こどもたちが作ったごはん」を食べに、遊びにいらしてください。
 
 

「社会のせい」にしよう




今年も受験シーズンがやってきました。
受験を迎えた、そして控えたたべまなの女子中高生にはたくさんの願いがあります。
 
行きたい大学がある。なりたい職業がある。まだ「したいこと」は見つからないけれど、これから見つかることを信じている。きっとなれると、信じている。
 
中には、努力が実らず望む進路に進めない子もいます。もっと頑張っていればよかったのだと悔いる子もいますが、最善を尽くした結果であれば、それは誰のせいでもありません。
しかし、目標が叶わないことを「個人の責任」「努力不足」と言えるのは、全てのこどもたちが等しく「目標を持ち努力し挑戦できる環境と機会」を手にしている場合のみです。
現実は違います。
経済的な事情によって、努力と選択の挑戦の機会を奪われてしまっている子がいます。日本には経済的困難を抱える子どもたちの進学を支援する制度がありますが、充分ではありせん。
 
子どもたちから機会を奪うのは、経済的困難さだけではありません。
そのひとつが、「女の子だから」です。
 
「女の子だから」という理由で入学試験の点数を下げたり面接等で不利になる扱いをしていた医科大学の存在が次々と報じられました。そして今年に入り、また大きな点数操作が明らかになりました。受験シーズンを迎えた女の子たちに与える影響はいかほどでしょう。医師を目指す女の子はたくさんいるのです。医師を目指さなくても、「公平な」入試を通過したさらにその先で同様の差別を受ける可能性があることを、女の子たちは気付くことになるでしょう
 
大人の多くが、「頑張っている子どもたちを応援したい」と考えています。
学校で、家庭で、子どもたちは「頑張る」ことを期待されます。
「頑張れ!」と言われます。
「頑張れは夢は叶う!」と言われます。そして「人のせいにするな!」と言われます。
 
「頑張れば夢は叶う!」と教えられ、頑張って、努力して、その結果「女の子だから」という理由で試験の点数を下げられても、就職やキャリアアップで不利な扱いを受けても、「人のせいにするな!」と教えられ「頑張り」続けた女の子たちは、「自分のせい」にするしかなくなります。女の子として生まれたこと、女の子の身体、全てを呪い、自分は無力だと信じてしまうことになります。
 
 
今日も参考書や問題集を広げる受験生たち、学生たち。女の子たちは「これから自分たちが生きていく社会に性差による差別ないはずだ」と信じて努力していました。一連の報道でその希望は裏切られ、「どんなに努力しても結局女の子である限り報われないのではないか」という不安が生じてしまえば、その不安は意欲に影響します。実際に受ける差別と同様に、「女の子だから不利になるのではないか」という不安は、その子の実力発揮を阻害します。その結果を「実力が出せなかったあなたのせい」にできるでしょうか。


たべまなの学生たちが将来「女の子だから」という理由で不利で理不尽な扱いを受けたら。彼女たちが、彼らが、もし経済的な事情で進路を諦めたりチャレンジする機会を損なってしまったら。私たちは「社会のせいだ」と言います。彼らが自分自身を呪い、無力感を抱き、嫌いになってしまわないように。そして「社会を変えれば/社会が変われば自分は尊重される」と信じられるように。
 
貧困や格差、ジェンダーやセクシャリティによる差別といった問題を提起すると、必ず「社会のせいにするな」という批判を受けます。そういった批判を受けるたびに、「理不尽を受け入れることが成長である」という価値観の枠組みが私たち大人の中に深く埋め込まれてしまっていることを感じます。その枠組みがこの「社会」に様々な差別や格差が温存されていることの要因であり、また私たち大人が「社会を変える」ことに手こずっている理由ではないでしょうか。

だから私たちは、私たち自身の価値観をアップデートするためにも、あらゆる格差や差別を「社会のせい」にし続けます。そしてそんな社会を変えることを、私たち大人の責任として引き受けます。「頑張ってる子どもを応援」したいなら、まず全ての子どもたちに「頑張る」機会と「頑張り続けられる」環境を保証し、実力が正当に評価される「社会」を作らなければなりません。「社会のせい」にしないのは、それこそ無責任ではないでしょうか。
 

 
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